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大阪ミナミの中心に君臨する巨大ターミナル「なんば駅」。
賑やかな都市のランドスケープにひときわ存在感を発揮して、
南海電鉄の車両たちは地上3階のホームから威風堂々と発車するのです。
1885年の開業以来さまざまな時代を乗り越えて、今の駅舎は五代目。
日本で最初に開業した私鉄駅、国の登録有形文化財、1日の乗降客数は24万人以上。
なんば駅のHISTORYは、この街の繁栄のHISTORYでもあるのです。

  • なんば駅が難波村のネギ畑にうぶ声をあげたのは今から130年前の1885年(明治18年)、南海電鉄の前身である阪堺鉄道が、なんば-大和川(後に廃止)の営業を開始した時でした。
    阪堺鉄道は日本で最初の純民間資本による鉄道会社で、1872年(明治5年)の新橋-横浜間で官営鉄道開業後、各地で鉄道敷設の機運が高まっていたものの、まだ多くの人が鉄道に親しみのない時代でした。
    初代なんば駅舎は、木造二階建てで、屋根の上にはトンガリ帽子の時計台がのっていました。
    「なんば駅」とは言わず、「難波停車場(ステーション)」と名乗り、これがなまって「なんば・すてんしょ」と呼ばれていました。

    • 初代なんば駅

    • 阪堺鉄道開業時の「和歌号」

    • 開通当時の発着時刻表と乗車賃金表

    • 創業当時はなんば駅とは言わず「難波停車場(ステーション)」と名乗った。大阪の人は「なんば・すてんしょ」と呼んでいた。
    • 明治18年12月27日、難波村の一角から小さな機関車がマッチ箱のような客車を引いて走り出した。

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    • 1888年(明治21年)2月、初代駅舎は火事に見舞われ全焼し、同年9月に二代目駅舎が完成しました。
      二代目駅舎はレンガ造りで設計され、当時流行のシンメトリック(左右対称形)なデザインでした。
      この年、線路は大和川を渡って堺(当時の吾妻橋)まで延伸開業されました。

      1895年(明治28年)に紀泉鉄道と紀阪鉄道が合併して南海鉄道が誕生。1897年(明治30年)10月に堺-泉佐野間を開通しました。そして翌年、南海鉄道は阪堺鉄道の事業を譲り受けなんば駅も南海鉄道の駅となりました。その後、1903年(明治36年)南海鉄道は和歌山市まで全通し、電化を押し進めるなど、事業を拡大していきました。

      一方、高野鉄道が1896年(明治29年)に設立され、1900年(明治33年)には汐見橋-長野(現河内長野)間で営業していました。

      • 二代目なんば駅

      • 二代目なんば駅(別写真)

      • 二代目なんば駅(別写真)

      • 南海鉄道開業時のSL第一号

      • 吾妻橋(現堺)停車場(明治21年開業)

      • 大小路(現堺東)駅舎(明治31年開業)

      • 開業当初の和歌山市駅舎(明治36年開業)

      • 高野鉄道時代の汐見橋駅舎

      • 阪堺鉄道会社汽車出発時刻表(明治二十一年三月定)

      • 明治21年に完成したなんば駅は、レンガ造り2階建てで当時流行のデザインを施した飾り屋根などで旅行者の目を楽しませた。
      • 明治30年、堺-佐野(現泉佐野)間の営業を開始したアメリカのピッツバーグ社製造の第一号機関車。
      • 明治40年、蒸気機関車運転を行っていた当時に、初めて走った電車がこの電形。なんば-浜寺公園間を走り、車両数は11両であった。
      • 明治21年、大小路の吾妻橋に開業した吾妻橋(現堺)停車場。正面の屋根に時計台のついた洋風駅舎付近は連日見物人で賑わいを呈した。
      • 明治31年、大小路筋の東に産声をあげた大小路(現堺東)駅舎。開設当時は野原の真ん中にあり、人々は菜種畑や稲穂の波をかきわけて汽車に乗りに行ったという。
      • 明治36年3月21日、和歌山市駅開業、そしてその日になんば-和歌山市間が全線開通した。
      • 現在、高野山行きの電車といえばなんばから運転しているが、大正14年、岸ノ里駅に高野線と南海線の連絡線ができるまでは高野山方面(高野下まで)への直通電車といえば全てこの汐見橋駅を発着した。

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      • 三代目のなんば駅は、二代目に続きレンガ造りの二階建てで、洋風建築の六角堂の建物とその横の駅舎から成り立っていました。
        1911年(明治44年)に、南海鉄道は全線が電化したため、当時のなんば駅は、まぎれもなく“電車”の駅であったと言えます。

        1922年(大正11年)には、南海鉄道は高野鉄道を前身とする大阪高野鉄道と高野大師鉄道を合併し、1925年(大正14年)には、汐見橋-高野下間を全通するとともに岸ノ里で南海本線と連絡しました。

        また、同年、高野下-高野山間の鉄道敷設を目的に高野山電気鉄道が設立されました。
        高野山電気鉄道は1928年(昭和3年)に高野下-紀伊神谷間、翌年、紀伊神谷-極楽橋間、その翌年には鋼索線を開通、1932年(昭和7年)に南海鉄道との相互乗り入れを実施し、ついになんば-高野山間の直通運転を開始しました。

        • 三代目なんば駅

        • 三代目なんば駅(別写真)

        • 丸形電車の標準タイプ(電形)

        • 大正13年4月運転開始の特急・喫茶室付き ネームトレイン「浪速号」

        • 昭和4年製の本格的な貫通式半鋼製車 モハ三〇一形(のちのモハ二〇〇一形)

        • 電化時の浜寺公園駅舎

        • 大正初期の住ノ江停留場

        • 大正初期の大浜停車場

        • 浜寺公会堂

        • 大正期の株主優待乗車券

        • 三代目なんば駅は、駅舎の規模を一段と大きくし、待合、休憩などの利便にも配慮を加えた。大正3年に開いた改札所2階の「南海食堂」は当時街では珍しい西洋料理を売り出した。
        • 明治42年、前面がタマゴ型に丸味を帯びた5枚窓という電車12両が登場した。このスタイルは大正期の南海電車の標準タイプとして「丸電」の愛称で親しまれた。
        • 大正13年に新造した新式貫通車両。なんば-和歌山市を1時間30分で結ぶ4両編成の急行電車として運転した。和歌山方先頭車に「ブッフェ(喫茶室)」があった。
        • 昭和4年に作られた大型鋼製車。全長20メートル、八百馬力を誇った。昭和5年からなんば-和歌山市を特急60分で結び、昭和45年まで43両が活躍した。
        • 明治6年に開園した浜寺公園は、住吉公園と並んでわが国公園の“はしり”である。最盛期、ひと夏100万人といわれた海水浴客のため、明治40年、なんば-浜寺公園間が電化され東洋一の海水浴場にふさわしく、駅舎も建て替えられた。
        • 東成郡墨江村(現住之江区西住之江)に住ノ江停留場が開業したのは明治40年。なんば-浜寺公園が電化された年である。その後の大正10年には南海で3番目の車庫ができ、後に本線のメインの車庫となった。

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        • 1932年(昭和7年)、輸送力の増強とともに三代目駅舎が手狭になってきたことと、地下鉄御堂筋線の建設推進を受け、それにふさわしいターミナルビルとして四代目なんば駅が入る南海ビルが誕生しました。
          同時に、現在の髙島屋大阪店も全館開店し、1935年(昭和10年)には、地下鉄が梅田からなんばまで開通、大阪キタとミナミの玄関口が結ばれ、南海ビルは御堂筋の南端にその威容を誇ったのでありました。
          1938年(昭和13年)、なんばから天下茶屋まで高架複々線を完成させ、なんば駅は扇形の配線で八つの線路と九面のホームを持つ駅となりました。

          終戦後の1947年(昭和22年)、高野山電気鉄道は、近畿日本鉄道から旧南海鉄道に属した鉄道・軌道を譲り受け、南海電気鉄道として新発足しました。
          そして、1950年(昭和25年)には、かつて南海ホークスが本拠地とした大阪球場がなんば駅西側に誕生し、なんばのシンボルとして多くの方から愛されました。

          • 四代目 なんば駅が入る南海ビル外観

          • 四代目 なんば駅ホーム

          • 冷房車に殺到する乗客

          • 昭和37年頃のなんば駅コンコース

          • 昭和44年頃の南海ビル

          • 昭和7年11月 近畿地方での陸軍特別大演習時の天皇陛下御乗用車

          • 昭和27年7月 運転開始の初代「こうや号」

          • 昭和30年頃の堺東駅舎

          • 昭和30年頃の河内長野駅舎

          • 昭和3年頃の和歌浦急行バス

          • 昭和5年の切符

          • 昭和30年頃のポスター

          • 昭和7年、駅舎と高層ビルの結合、つまりターミナル・ビル「南海ビル」が完成した。現在もそのおもかげが残っている。
          • 昭和11年、クハ2802号に試験的に冷房装置がとりつけられたのがわが国最初の冷房車。
            乗客には好評で冷房車にだけ大勢の人が集中した。
          • 高い天井、広いコンコース。改札口上部には南海四国ラインの文字。四代目なんば駅は戦争突入から敗戦、戦後の再建を経験し、その後の高度成長まで見守った。
          • 昭和7年、近畿地方で陸軍特別大演習が行われ、天皇陛下はそのご統監のため、なんば-堺東間でこの「お召し電車」にご乗車になった。
          • 昭和27年、「こうや号」という名の座席指定特急が高野線に登場した。この時、高野山方先頭車として使用されたのがクハ1900号で昭和13年に「貴賓車」として誕生した車両。
          • 終戦後、空襲などで焼け野原になった堺市内でいち早く復興し始めたのは堺東駅前であった。その後の昭和39年に「南海堺東駅ビル」が建設され、交通のカナメとなった。
          • 昭和3年、貨物営業を始めたのがバス事業のルーツ。
          • 海水浴場誘致のポスター。浜寺公園・松ノ浜付近がまだ臨海工業地帯になる以前の様子がうかがえる。

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          • 1970年(昭和45年)代に入り、南海沿線人口の増加に伴って乗降客数が増大し、輸送力の強化が急務となりました。1972年(昭和47年)から駅舎の改良計画が進められ、それまで2階部分にあったプラットホームを3階へ移動させる大がかりな改造工事が進められました。
            工事は、まず第一期で南海線が発着するプラットホームを三階部分へ、つぎに第二期で高野線および泉北高速線が発着するプラットホームを、さらに第三期で残る付帯的な工事と三期に分けて行われ、1980年(昭和55年)にすべて完成しました。完成した駅舎にはなんばCITYがオープン、ロケット広場をはじめ様々な名所も誕生し、名実ともに大阪ミナミの玄関口にふさわしいターミナルとして大きく生まれ変わりました。

            • 昭和55年頃の五代目なんば駅が入る南海ビル外観

            • 改装後のなんば駅ホーム

            • 改装後のなんば駅大階段

            • 改装後のなんば駅ホーム

            • 当時のなんばエリア(空撮)

            • 高野線新ホーム切替直後(左6000系、右7100系)

            • なんばCITY「ロケット広場」

            • 特急「こうや」30000系(左)と9000系(右)

            • 製造中の空港特急「ラピート」

            • ズームカーの愛称で親しまれた21000系

            • なんば駅に到着・出発する電車(左7100系、中9000系、右21000系)

            • 特急「サザン」10000系

            • 二代目「こうや」20000系

            • 南海サウスタワーホテル大阪建設時(空撮)

            • 大阪球場(空撮)

            • 昭和47年からなんば駅改造整備建設工事が進められ、それまで2階部分にあったホームを3階へ移動する大工事は昭和55年に完了した。
            • なんば駅の象徴ともいえる大階段。
            • ターミナルに集いと憩いの場所を用意する「CITY構想」。完成した「なんばCITY」の象徴がこのロケット広場であった。
            • 平成6年9月4日から営業運転を開始したラピート。航空機の流線形とSLが持つ力強さのイメージを融合させた従来の概念にない発想で生まれた。
            • 昭和60年11月から運転開始、昭和61年のローレル賞を受賞した。
            • 昭和36年、新こうや号としてデビューした。
            • 大阪球場の手前に建設中の南海サウスタワーホテル大阪(現スイスホテル南海大阪)が見える。
            • 昭和25年に誕生した大阪球場。南海ホークスが本拠地とし、長年親しまれた。

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              1980年代のHISTORYムービー

            • なんば駅で長年親しまれてきた大阪球場が1999年(平成11年)より解体され、2003年(平成15年)には大型複合商業施設「なんばパークス」として生まれ変わりました。また、なんば駅の美装化工事が始まり、2009年(平成21年)には、ロケット広場が「なんばガレリア」として生まれ変わりました。また、年々増加している外国人観光客の関西国際空港への拠点として、重要な役割を果たしています。

              • 現在の南海ビル

              • 空港特急「ラピート」

              • こうや花鉄道「天空」

              • なんば駅構内

              • ガレリアコート

              • なんばパークス

              • なんばパークス(空撮)

              • 駅のコンコースと一体化した地上7階建てのビルは、長い年月にわたり大阪ミナミ・なんばの玄関口の顔としてお客さまに親しまれている。
              • ラピートは、「速い」という意味のドイツ語。最高時速120km/hで、都心なんばと関西国際空港をダイレクトに運行。力強いフォルムは幅広い世代に人気。
              • 橋本-極楽橋駅間を走る電車で、客室内には山岳区間の風景を一望できる「展望デッキ」などがあり、高野山への旅の楽しみをより一層深めている。
              • 平成21年10月、「ロケット広場」の吹き抜け空間が「なんばガレリア」として生まれ変わった。
              • 平成15年10月、なんばパークスが大阪球場跡地に登場。以来、大阪・ミナミの新名所として親しまれている。
              • なんばパークスやなんばCITYをはじめとした多様な商業施設と、文化・観光の交流拠点として発展してきた現在のなんばエリア。

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              創業130周年 130周年記念イベントのお知らせ 130 Anniversary Events

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