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南海100駅自慢

岸里玉出

岸里玉出駅

冷めても美味しい。そのこだわりは、85年間ずっとアツアツです。

たこ焼きの元祖として知られる「会津屋」は、
創業85周年を迎える老舗。
常連さんからの要望を受け、当時目新しかったラヂオ焼きに
たこを入れるようになったのが始まりです。
その後も創業者が試行錯誤を繰り返し、だしや素材本来の味を
大切にした“冷めても美味しい”たこ焼きが生まれました。
慣れ親しんだ味を求めて、毎日通う熱心な地元ファンが多く、
芸人さんへの楽屋土産としても人気。
おすましやお茶漬けの具として使ったり、
酢醤油や一味をかけてみたり、色々なアレンジが楽しめるのも、
シンプルな会津屋の味だからこそ。
ふわふわとろとろのたこ焼きには、人の心をワクワクさせる
サービス精神もたっぷりと包みこまれているようです。

愛が、多すぎる。岸里玉出駅の自慢

生根神社(いくねじんじゃ)といいます

岸里玉出駅から歩くこと数分、こちらは生根神社(いくねじんじゃ)です。毎年7月24・25日に行われる「だいがく祭り」、冬至の日に蒸しかぼちゃを振舞う「こつま南瓜祭り」が有名です。「だいがく祭り」では、「玉出の台額(だいがく)」(府の有形文化財)という高さ約20mの柱に約70個の提灯を飾り付けた、とても見事な櫓が見られます。

気になってた人も居るのでは

岸里玉出駅すぐ近く、高野線に乗車していると、ちょっと気になる煉瓦作りの建物がありますね。こちらは、玉出変電所という現役の変電所で、南海高野線や阪堺電車に電力を送っています。竣工は1911(明治44)年12月で、見るからにとても歴史を感じる建物ですね。

昔は立体交差してました

もともと高野線は汐見橋を起点とし、堺東方面への列車を走らせていました。そしてこの線路は南海本線を跨ぐ形で立体交差していました。しかしながら南海本線の連続立体交差化事業の進捗に伴い、汐見橋と堺東方面を結ぶ線路は分断され、南海本線の西側に汐見橋方面行きのホームが併設されることとなりました。

謂れのある神社です

岸里玉出駅のすぐ近くには天神ノ森天満宮があります。ご由緒によれば、菅原道真が左遷された際、この地で休憩され、その後、京都北野天満宮の御分霊を奉斎して現在に至るそうです。

足利軍が戦った古戦場跡だとか

こちらも岸里玉出駅から歩いてすぐ、阿部野神社です。こちらの神社は、南北朝時代、北畠顕家(あきいえ)と足利軍が戦った古戦場跡地に創建され、北畠親房(ちかふさ)、顕家父子が祀られているのだそうです。

元は二つの駅でした

岸里玉出駅は、元々は岸ノ里駅、玉出駅という二つの駅に分かれていました。両駅の距離は当時400mほどで、高架化された際に統合されました。そして、駅名もそのまま「岸里玉出」と統合されました。

南海100駅自慢 メイキング

たこ焼き発祥のお店

岸里玉出駅では、たこ焼き発祥のお店、会津屋さんを取材させていただきました。愛情込めて、しかも手際よく焼いている姿を撮影させていただきましたが、撮影中もひっきりなしにお客さまが来られていました。なかには大量購入するために車で買い付けに来る人もいるのだとか!ずっとたこ焼きを焼いてる姿を見ていると、やはりおなかが空いてしまいますね。撮影後はスタッフみんなで美味しくたこ焼きをいただきました!

アクセスはコチラから

  • 生根神社
  • 天神ノ森天満宮
  • 阿部野神社
  • 玉出変電所
  • 岸里玉出駅

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