九度山は、戦国武将「真田幸村」が隠れ住んだとされるまち。
真田庵をはじめ、ゆかりのスポットがたくさん残っています。
その昔、幸村と村人たちとは強い絆で結ばれていたようで、
大坂城への出陣の際には、村人の巧みな機転によって
九度山を出立することができたという話も伝えられています。
そんなこともあってか、家の蔵から
ご先祖が幸村にもらったとされる品が出てくるなんてことも。
歴史上のヒーローであるはずの幸村も、九度山では身近な存在で、
玄関口である駅舎も幸村を思わせる“赤備え”の装いに。
どれだけ時代は変わっても、
幸村はこのまちに生き続けているようです。

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昔から「真田の抜け穴」と伝わっていた穴がこちらの真田古墳。こちらから善名称院まで繋がる抜け穴と長い間信じられてきましたが、4世紀に造られた古墳であることがわかりました。しかしながら、真田にゆかりある場所の古墳という事で、真田古墳と名づけられたそうです。
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九度山駅からちょっと歩きますが、世界遺産である慈尊院がお目見えします。こちらは、弘法大師(空海)が高野山開創の際、表玄関として、宿泊所や政所を置いた高野山の要所。弘法大師のご母公が移り住み、また、女人禁制の高野山には入れない女性のための高野山参りの場所、「女人高野」として信仰されました。
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高野山を開山した弘法大師(空海)ですが、若い頃は和泉国の槇尾山で、弁財天を信仰していました。高野山に移ってからも、弁財天への信仰は厚く、毎月9度は槇尾山まで参詣していたと伝えられます。ある日、紀の川が増水した際、弘法大師の前に弁財天が現れ「槇尾山までの参詣は大変なので九度山に遷して参詣しなさい」お告げになり、その場所が対面石の前であったそうです。また、九度山という名前の由来になった場所とも言われています。(諸説あります。)
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九度山の町の人たちから親しまれているのが、こちら「米金の金時像」。何がすごいって、この像は陶器製なのです。こちらを製作したのは、1884年生まれの井端荘平という陶芸家。九度山焼きと呼ばれる陶器なのですが、こんなに大きな作品は本当に珍しいのだとか。
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九度山のまちなかの民家で、毎年4〜5月にかけて五月人形・雛人形・つるし飾りなど自慢のお宝人形が展示される「町家の人形めぐり」が開催されています。期間中はたくさんのお客さんが楽しみに訪れ、九度山の恒例行事となっているそうですよ。
南海100駅の中でも、今とてもホットな駅は九度山駅!今回は手作甲冑九度山真田隊の皆さんに甲冑姿で登場いただきました!見てください!この完成度の高い甲冑を!実は、手作甲冑九度山真田隊の皆さんが手作りされた甲冑なのです。甲冑隊の皆さんは九度山だけでなく、各地のイベントに引っ張りだこで、ただいま大活躍中です。九度山は真田幸村ゆかりの町ですが、それ以外にもグルメに季節のイベントに世界遺産と・・・魅力たっぷりの町。是非皆さんお越しくださいね。
