• Facebook

南海電鉄小説コンテスト

白鷺ピクニック

「まもなく、3番線に電車が到着いたします。」
ホームにアナウンスが響き渡る。
私は駅前の歩道で、それを聞いていた。


電車がホームに到着したようだ。
改札を通り、ホームへの階段をゆっくりと降りる。
階段を上がってくる人たちとすれ違う。
私の足取りは軽く、ゆったりとしている。


大学生のころはよかった。
このごろ、つくづく思う。

今みたいに責任感やストレスとは無縁の生活だった。気乗りしない授業は、出席せずに単位をあきらめれば済む話だったし、嫌なことからは逃げればいいと考えていた。
就職してからはそうはいかない。逃げることは許されない。嫌な上司とも上手くやっていかなければならないし、与えられた仕事はこなさなければならない。すべてが「〜しなければならない」に支配されていて、ストレスや体調不良と向き合いながら、1日1日をなんとか生きている。 

だけど、大学生に戻りたいかと聞かれたら、そうでもない。
ストレスとは無縁の平穏な生活だったけど、人生の絶頂期だったわけでもないから。
私は遅咲きの人間なのだ。若さは武器かもしれないけど、30代半ばの今の方が、判断力や行動力、そして強さがある。だから20歳のころに戻りたいとは思わない。
私が欲しいのは時間だ。自分と向き合うための時間。本を読んだり、景色を眺めたり、ただ静かに考え事をするための時間が欲しいだけ。大学生のころは、そんな時間がいくらでもあった。

電車のドアが閉まった音をしっかり聞いてから、私はホームに降り立った。
電車はカタンカタンと、次の駅へと向かっていく。
すべては予定通り。いつものベンチに座り、駅前の自動販売機で買った熱々のコーンスープの缶を鞄から取り出す。

時間が足りないと感じ始めたのはいつからだろう。
就職してからも、しばらくの間は自分の時間というものがあった。1週間に1冊は本を読んでいたし、その時々の興味の対象について、自分なりにリサーチしていた。社会人になって、ようやく初めて彼氏ができてからも、時間はあった。日記を書いたり、ファッション雑誌でモテコーディネートを研究したり、パワースポットめぐりをしたり、やることはたくさんあったけれど、それでも時間が足りないと感じることはなかった。

時間が足りないと感じるようになったのは、結婚してからだ。生まれてから結婚するまで私はずっと実家暮らしで、家事は一切しなかったから、効率よく家事をすることができなかった。夫と家事を分担し、次第に「時短」できるようになったけれど、自分と向き合うための時間というものは、結婚を機にほとんどなくなってしまったといえる。今では1ヶ月に1冊本を読めたらいい方で、静かに考え事をする時間というのは、意識しなければ設けることができない。


「朝は何時に起きるん?」
職場の同期2人とのランチ。
パスタを待っている間に何気なく聞かれた。
彼女たちには子どもがいる。

「7時半くらいかな。」
2人とも驚いた表情をする。
「そんな時間で間に合うん?お弁当は?」
3人の子持ち同期が聞く。
「まあ、いつもギリギリやけどね。お昼は外食なん。」
「え?毎日?でも、お金かかるやろ?」ともう一人の同期。
「確かに、お金はかかる。でも、朝早く起きてお弁当作る方が大変やん。昼休みくらい1人で誰ともしゃべらずにゆっくりしたいん。」

へぇ〜。
ふぅ〜ん。
分かったような、分からないような表情をして頷く2人。
「でも、自分の時間って大事よね。」
「家に帰ったら、子どもの世話とかで、自分の時間なんかないもん。」

彼女たちは、少なくとも朝6時には起床し、家族のために朝ごはんを作り、夫と自分のお弁当を作り、子どもたちを保育所へ送り出してから出勤するというのが日課らしい。私にはとても無理だ。朝起きるのが大の苦手だし、そんなに早く起きるのなら、夜は10時までに寝ないと睡眠時間が足りない。

でも、と考える。
時間がないのは私だけではない。
彼女たちも家のことや子どもの世話などで、自分の時間がないと感じている。

30歳で結婚するまでは、母が毎日お弁当を作ってくれていた。昼休みは外食する、というスタイルは結婚してから確立したもので、自分の時間を確保するのが目的であった。夫がお弁当を持たされることに束縛を覚えるタイプなのも幸いした。平日1時間は自分の時間を確保。だけど、空想マニアの私にはそんなものでは足りなかった。時間が足りない。自分の時間が欲しい。症状は慢性的に続いている。

電車が出発したばかりの白鷺駅のホームには誰もいない。
お気に入りのベンチに座った私は、予定通り「白鷺ピクニック」を始めることにした。コーンスープの缶がほどよい熱さになってから、手のひらでころころ転がすようにして、両手を温める。そして、大きく息を吐く。「白鷺ピクニック」のはじまりだ。


大学生のとき、電車で通学していた。
往路だけで1時間ほどの乗車時間。私は通学時間を存分に楽しんでいた。それは自分の世界に入る時間であり、お気に入りの時間であった。行きよりも帰りが好きだった。

大学の授業が終わると、電車の時刻を確認する。電車は15分ごとに来るから、タイミングを考えて白鷺駅へと向かう。駅前のコンビニや自動販売機で、そのときの気分に応じて必要なものを買う。缶入りのコーンスープ、ホット紅茶、チョコレート、ハーゲンダッツのアイスクリームなど、気分によって「仕入れ」は違う。買い出しをした後、電車が出発したタイミングを見計らって、お気に入りのベンチに座る。そして、ただ静かに本を読んだり、考え事をしながら、飲み物を飲んだり、甘いものを食べたりする。誰もいないホームでのささやかな楽しみ。私はそれを「白鷺ピクニック」と呼んでいた。

白鷺ピクニックは1人でないと成立しない。少なくとも、視界に入る範囲には誰もいないことが条件である。それは、単に駅のベンチで飲食している姿を誰にも見られたくないという思いからなのだが、自分の世界に入るのに集中しやすいからというのもある。さらに、座るベンチも決まっている。そのベンチは、ホームの階段の下の人目につきにくい場所に置かれている。そして、そこにはベンチ1台しかない。まさにピクニックに打ってつけのベンチ。他のベンチとは訳が違う、特別なベンチ。私はそのベンチに愛着を持っていた。

白鷺ピクニックの醍醐味は、他人から見たらピクニックをしているようには見えないことにある。ただし、私の脳内では間違いなくピクニック中であり、ピクニックをしているという意識のもと電車を待つのと、ただ電車を待つのとでは大きく違っている。

ピクニック中に知り合いに出くわすこともあった。
顔は知っているけれど名前は知らない、同じ大学に通う学生。
そんなとき、ピクニックは即中止となる。相手は何とも思っていないだろうが、私としては「見られてはいけないものを見られてしまった」感覚に陥り、しばらく挙動不審になってしまう。そして、それを誤魔化すために、読書に熱中しているふりをするのだ。なんと自意識過剰な私。今思い返すと恥ずかしくなる。

もちろん、大学の帰りに毎回ピクニックが行われていたわけではない。友達と一緒に帰るときはやらなかったし、ピクニック気分でないときもあった。ただ、白鷺ピクニックは回を重ねるごとに儀式のように執り行われるようになったことは確かだ。特に3回生以降は、大学には週1回行けばよかったので、白鷺ピクニックができる有難さに感謝しつつ、このささやかな楽しみを満喫した。

時間がない、自分と向かう合う時間がない。
昔はそうでもなかったのに、これはどういうことだろう。
でも、時間はみなに平等にある。1日は誰に対しても24時間であって、要は使い方次第だ。やることがいっぱいあって、どんどん自分を追い詰めてしまう。
頭の中をリセットしたい。そして、心も。
私は、かつての習慣を思い出していた。10数年前の記憶。そして、今すぐピクニックを敢行しなければならないと感じた。頭の中、そして心をリセットするために。


「日曜日なんだけど」
食器洗いをしている夫の横で、私は洗い終えた食器をタオルでふいている。
「ん?」
洗剤の泡を四方八方に飛ばしながら、夫はまったく気にしていない。
「日曜日、ちょっと出かけるから。」
「そうなん?」
「うん。電車に乗ってくる。」
「どこへ行くん?」
「大学。」
「ふうん。」

結婚して5年。
夫は、私の突然の思いつきに動じることもない。また始まったか、という様子だ。
「いっしょに行きたい?」念のため聞いてみる。
「いや。いいよ。一人で行ったら?」
「うん、そうする。」
夫はあれこれ詮索しない。帰ってきたら、私がペラペラ一人でしゃべりつくすのを分かっているから。
洗い物を終えた後、私はパソコンで電車の時間を調べ始めた。


今も昔も、私は空想が大好きだ。
空想するのに必要なものは何もない。
でも、もし準備できるのなら、メモ帳とペン、そして温かい飲み物があれば完璧だ。

10数年ぶりに白鷺駅に降り立った。
ホームから見える景色は随分と変わっていた。
駅の裏には古い団地があったはずだけど、大きなマンションが建っていた。時間の流れを感じながら改札を出る。駅から外へと出る階段を下りている途中で、たくさんの記憶や思いがこみ上げてきた。息が苦しい。懐かしい思い出の数々。涙が出ないようにするのに必死だった。この階段で何かドラマがあったわけではない。でも、間違いなくこの階段は当時の雰囲気そのままで、白鷺ピクニックのころの空気を漂わせていた。
大学へと向かう。白鷺駅からひたすらまっすぐ歩けば大学に着く。この道を4年間歩いたはずなのに、大学までの道のりがとても長く感じた。

日曜日だったので、大学のキャンパスには人がほとんどいなかった。
そして、記憶の中にあった建物は取り壊されて、芝生となった跡地があった。浦島太郎の気分になりながら、地理学研究室のあった建物を発見して安堵する。私は学生時代、人文地理学を専攻していた。場所の記憶とイメージについて研究していた。白鷺駅付近を歩き回ってフィールドワークをした。「ここではないどこか」が卒論のテーマだった。
大学のキャンパスは懐かしいけれど、もはや私は浦島太郎で、部外者であった。すごすごと大学を後にする。そして、白鷺駅に向かって歩き始めた。

昼ごはんを食べようと思い、駅前の洋食屋に入った。
この店は確か昔からあったと思う。でも、入るのは初めてだった。ヘレカツ定食を注文する。水を一口飲んでから、さきほど感じたことをメモ帳に書いていく。カタンカタン。電車の音が聞こえる。

ヘレカツ定食を食べ終えると、いよいよピクニックのことで頭がいっぱいになった。電車の時刻を確認してから店を出る。
お腹がいっぱいなので、飲み物だけ買うことにする。駅前の自動販売機を見ると、コーンスープは売っていなかった。ジュースを買った。もともとコーンスープを買う気はなかったけれど、自動販売機のラインナップに入っていなくて寂しく思った。


「まもなく、3番線に電車が到着いたします。」

切符を買っていると、アナウンスが聞こえてきた。
ああ、このタイミングだ。

改札を通り、ホームへの階段をゆっくりと降りる。階段を上がってくる人たちとすれ違う。私の足取りは軽く、心躍る気分だ。
まっすぐに、あのベンチへと向かう。特別なベンチ、白鷺ピクニック専用のベンチへ。

しかし、そこにあったのはゴミ箱だった。
ベンチがあった場所にはゴミ箱が置かれ、ベンチはなくなっていた。

ベンチがない。

悲しかった。
私の愛したベンチがなくなっているなんて。再び浦島太郎になった気分だった。

誰もいないホームで、別のベンチに腰掛ける。ジュースを飲みながら、やるせない気持ちを落ち着かせる。
鞄からメモ帳を取り出し、「ベンチがなくなっていた」と書きなぐった。あのベンチがなければ、もはや白鷺ピクニックとはいえない。だけど、それでも、「なんちゃって」白鷺ピクニックを敢行しようと深呼吸した。

ベンチに座って風のにおいを嗅ぐ。やさしくて、懐かしい香りがする。ホームから見える景色はかなり変わったけど、土地の持つ波動は変わっていない。電車が来るまで15分ほどある。

のどかな時間。
電車待ちの人が徐々に増えてきたけど、私には見えていなかった。今ここにいることに集中していた。日曜日の午後の駅のベンチ。平和だ。幸せを感じた。時間を気にしてばかりの自分が馬鹿らしくなった。

家に帰ると、夫が聞いてきた。
「今日のは、意味があったの?」

「うん。」
大いに。
私は大きく頷いた。

閉じる