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南海電鉄小説コンテスト

さやま遊園の妖精

まだ南海電鉄の駅に灰皿があった頃、僕が駅のホームでタバコを吸っていると、みすぼらしい仙人みたいなおっさんが近よってきて、
「ええ天気やな」と声をかけてきた。
おっさんは、手にスーパーのビニール袋を持っている。

……あれ? 僕は空を見上げた。
まちがいない。今日の天気は曇りです。

「兄ちゃん、それなんや?」
曇り空からおっさんに目を移すと、おっさんは僕の指先を見つめていた。

「見てのとおりタバコだよ」

「アホ! そんなもんわかってるがな。銘がらや、銘がら」

「ハイライトだけど?」

「ヘェ〜、ハイライトってどんな味なん?」   

なんと、まぁ、しらじらしい奴なんだ。
「吸います?」
僕がタバコの箱をさしだすと、
「すまんなぁ」
おっさんはそこからタバコを三本も取りだし、袋にささっとしまい込みやがった。

「兄ちゃん、仕事なにしてんねん」

「いまからハローワークに行くところです」
って、いうか。
せっかくあげたんやから吸えよ。

「失業中か? わしと一緒やな」

僕は、自分で自分のタバコを買っている。
結論。一緒にするんじゃない。

おっさんは、かれこれ八年も働いていないらしい。そんなにも仕事しないで、よくまぁ、生活ができるもんだと、ある意味うらやましい気もする。が、早く仕事を見つけないと、明日《あす》はわが身かもしれない。

「パッと見て、わしなんに見える?」
唐突におっさんが、わけのわからないことを聞いてくる。
あんまりかかわらない方が安全なパターンかもしれない。
僕はおっさんを無視することに決めた。

「わし。妖精やねん」

……え?! なんと申されました?

「誰にも言うたらあかんぞ」
おっさんは人さし指をくちびるにあてて、シーッやぞ。シーッと、ぬかしてくる。

おいおい。こらこら。

まったく、こういう時にかぎって、電車がなかなかやって来ない。

「あれ? 信じてなさそうやな」
と、おっさんがぬけぬけ。
信じるやつなんて、おるわけないやん。

「妖精って、背中に羽があると思ってたよ」
僕が適当に返すと、おっさんは身体をゆすりながら、ケラケラ笑いだした。

「いまどき、そんな妖精おるかいな。テレビの見過ぎとちゃうか? それは、むかしむかしの花の妖精やんけ」

「だったら、あんた。なんの妖精なんだよ」

「わしか? わしは、さやま遊園の妖精や」

おっさんがズボンのポケットから、しわくちゃの紙切れを出してきた。
それには「妖精認定証」と書いてある。
「なっ!」と、おっさんの鼻がふくらんだ。

顔写真があった。髪をふわっとよい感じに整えて、目は細いが理知的で、色白のなかなかの美男子。
「これ、わしやぞ」

おいおい。

どこをどういじっくったら、この写真の男が、おっさんになるんだ? 魔法か?
共通するパーツがひとつもありゃしねぇじゃねぇか。と呆れていると、
これ幸い電車が来た。飛び乗った。

ドアが閉まる向こう側から、おっさんが、
「また、会おな」と言ってくる。
僕は返事をしなかった。

ああ、タバコを三本も損しちゃったよ。

電車は河内長野駅に着いた。そこから徒歩で、ハローワークに向かう。

普通なら、駅からバスで行くのが妥当な選択なんだけど、なんてったって、失業中。
お金の余裕がほとんどない。
タバコ代を浮かすため、いつもハローワークまでは、駅から歩くことにしている。

実はいまの僕は絶体絶命の大ピンチ。
勤めていた会社を突然クビになり、途方に暮れていたところへこれまでの悪行が祟り、妻と娘二人が実家に帰ってしまっている。
素直に謝れば妻は許してくれるかもしれないのに、素直になれない僕がたくさんいた。
とりあえず仕事をみつけて、妻を迎えに行けばいいやと、呑気にかまえていた。

ところが仕事がなかなか見つからない。

「学歴経験年齢。どれも当てはまりませんねぇ。この職種はあきらめたほうがいいんじゃないですかね」

胸にぶら下げている「職業相談員」の肩書きが泣いているぞ。引きちぎってやろうかと思うぐらいいつも同じことを言ってきやがる。
僕は設計の仕事がしたかった。
「また来ますわ」と吐き捨てて席を立った。

帰り道。電車の中で、なんかもうなにもかもが、どうでもよくなってきた。

両親もいないし、兄弟も親戚もいない。
妻と娘らは実家なんだし、このまま、一人で適当に生きていくほうが楽なんじゃないか。と、思えてくる。
そうそう。ホームで出会ったおっさんは八年も無職でいられるんだ。あいつもきっと独り身なんだろう。

ふと気がつくと、電車を二駅も乗り過ごしていた。

すぐに電車から飛び降りて、改札を出て、踏み切りを渡り、下り側の販売機で切符を買おうとしたら、壁に広告つきの鏡があった。
なにげに、のぞいてみる。

みっともない僕の顔が映っていた。
自分自身に問いかけてしまう。
お前……急に老けたんじゃないか?

「なっ、つまらん人生は顔にでるやろ?」
鏡の僕の後ろに、あのおっさんの顔が映っている。

「なにしてんだよ。おっさん!」
僕が驚いて振り向くと、おっさんはクックックッと笑っていた。

「わしの写真見たやろ。夢も希望も失くして八年経ったらこのざまや。つまらん毎日や。兄ちゃん、この駅は昔なんちゅう駅やったか知ってるか?」
と、おっさんが聞いてきたので、僕はあらためて駅名を確かめる。

「大阪狭山市……あっ!」
この南海高野線の駅は、さやま遊園がなくなって駅名を変えた駅だ。
「狭山遊園前!」

「ピンポーン! 正解や」
おっさんは嬉しそうだった。

「あの頃は毎日のように子どもたちがこの駅に来たもんや。それがいまはどないや。だーれも寄りつかん。ここに遊園地があったなんて、覚えとらん。さみしい話やで」

さやま遊園は昭和13年に南海電鉄会社により開園された小さな遊園地だったが、平成12年の4月に閉園した。
利用客のほとんどが小学生以下の子どもたちとその家族で、僕も娘たちを連れて、何度も遊びにいったことがある。

「誰も覚えていないってことはないんじゃないかな」

家の玄関、下駄箱の上。そこに娘たちの写真を二枚飾っていて、一枚は、ベビーカーに乗る長女が、口のまわりと鼻のてっぺんにソフトクリーム塗りたくり美味しそうに食べている写真。
もう一枚は、長女がすましてカメラを見つめる横で、お多福みたいな顔をしながらフラッペを食べている次女の写真。
幼い頃の娘たちの写真の中、僕がお気に入りの写真。さやま遊園で撮影したものだ。

「僕なんて写真を見るたんびに、あの遊園地を思い出しているけどね」

「嬉しいなぁ。兄ちゃん、吸うか?」
と、おっさんはビニール袋の中から、タバコを出してきた。
よく見るとタバコはハイライト。

俺があげたやつじゃねぇか。

「わしな、いつも観覧車の支柱に腰かけて、遊園地をながめててん」

「危ねぇな。落ちたらどうするんだよ」

「せやから、わし妖精なんやて」

「はいはい……あれ? そういえば観覧車。あの観覧車って、いまもあるよね」

「あるかいな。みーんな撤去されて、遊園地の面影もなんもないわい」

たしかに、さやま遊園の跡地はマンションが並ぶ住宅地なっていて、石碑に刻まれた文字で、そこが遊園地だったことを知るぐらいしかできない。でも、遊園地にあった観覧車だけは、堺市のハーヴェストの丘に移設されたと、聞いたことがある。

「それ、ほんまか?」
おっさんが目をまるくした。

妖精なら、それぐらい知っていてもよさそうなもんだけどな。

もし観覧車がまだあるなら、そこに行けば昔の自分に戻れると、おっさんがよろこんだ。

色白の美男子だった妖精にですか?
いやいや、無理でしょう……。

「兄ちゃん、ええこと教えてくれて、ありがとうな。ほら、吸うか?」

だから、それ俺のハイライトなんだってば!

怒った僕の顔をみて、ケタケタ笑うおっさんが、タバコを口にくわえ、シュッとマッチをこすると、パッと火がついて、なぜかそれと同時に僕のまわり一面がスーッと暗くなりだし、マッチの火だけしか見えなくなったかと思うと、それが、だんだん、どんどん、明るくなってきて、白くかがやき始めた。
とんでもなくまぶしい。

僕は、しかめっ面で目を閉じた。

すると、どこからか手回しオルガンのメロディが聴こえてくる。
聴こえるのはそれだけじゃなかった。
「ギーコ、ギッ、ギィー、ギーコ」
古いメリーゴーランドが鳴らす歯車の音も聴こえている。

僕はゆっくりと目をあけた。

「パパーッ!」
木馬にまたがった長女が、木馬から突きでている棒にしがみつきながら、上に下に揺れる声で、僕を呼ぶ。
次女は妻に付きそわれて、かぼちゃの馬車の中から、僕に手をふっていた。

「カタカタカタ、ギューン」
見上げると、頭の上にあるレールにイモムシのジェットコースターが走っていた。
その向こうには、大観覧車とは名ばかりの小さな観覧車が静かに回っている。
その観覧車におっさんが座っていて、うれしそうに遊園地をながめていた。

僕が立っているこの場所は、あの頃のさやま遊園に間違いない。

目の前の花時計の鐘がなると、妻と娘たちがメリーゴーランドから戻ってきた。
僕は言った。
「ここで、みんなで写真を撮らないか?」

「そりゃあ、ええわ。撮ったろか?」
いつの間にか、おっさんがそばにいる。

おっさんはカメラをのぞきながら、
「ほな、いくで。ハイッ、バター!」

「しょうもなぁー」
家族四人で笑って、おっさんに突っ込む。
すかさず、おっさんはシャッターを押した。
「カシャ!」

カメラはインスタントカメラじゃなかったのに、撮ったばかりの写真をおっさんが渡してきた。
花時計の前、家族みんなが笑っている写真。

「大事にせなあかんぞ」

「ありがとう」と、僕が言おうとしたら、
フッと、おっさんが目の前から消えた。
「がんばりや」
と、おっさんの声が聞こえた気がする。

あたりをいくら見渡しても、おっさんの姿はどこにもない。
まわりの景色は、もう、遊園地から駅の切符売り場に戻っていた。

「おっさん、ほんまに妖精やってんな」

僕は、切符の行き先を変えて、妻の実家まで家族を迎えにいくことにした。
妻は許してくれるだろうか?
いや、許してもらう。
そして、妻と娘たちと手をつないで、ハーヴェストの丘へ行くんだ。

おっさんと会うために。

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